1-3.強迫症の特徴

強迫症/強迫性障害(OCD)では、症状の表れ方(タイプ)、重症度が、患者さんによって、さまざまです。このページでは、強迫症の主な特徴について解説します。

[1]誰もが経験する考え・行為が行き過ぎている強迫症状
[2]嫌な感情は不安とは限らない
[3]自分の意思か、 病気かの自覚
[4]強迫症に支配され、疲れる
[5]強迫症でない人との違い
[6]感覚的と言語・理屈的なタイプ
[7]子どもの頃に発症した場合

[1]誰もが経験する考え・行為が行き過ぎている強迫症状

心配ごと、確認、洗浄は、誰でも経験するものです。そして、ときには一時的に増えることもあるでしょう。
また、新型コロナのような感染症が流行すれば、その状況に応じて、目に見えない感染を警戒して、マスクをつけたり、除菌や洗浄を念入りにすることが必要となります。しかし、このような警戒が誰もが行っている範囲であれば、強迫症とは言えません。

強迫症の症状である強迫観念、強迫行為は、そのような心配や行為が、他の人より、どこか過剰で、自分でのコントロールが難しくなったものです。また、その方法が、手洗いは毎回、石鹸をつけて腕まで洗わなくてはならないというように、客観的に見れば、どこか科学的に必要でない部分があります。そして、 心配や行為が、 日常生活に支障をきたしてしまっていると、強迫症状の域になります。
しかし、通常、本人には、どこまでが正常な範囲で、どこからが過剰なのか、その境目がわかりにくい面があります。

[2]嫌な感情は不安とは限らない

感情とは、短い言葉で表される気分の波のようなものです。(精神科全般>1-2.感情・情動とは
強迫症では、さまざまな嫌な感情が伴います。不安感を抱く人もいれば、不安はあまりなく、他の感情が生じる人もいます。
たとえば、嫌悪、不確かさ(もやもやして、すっきりしない)、恐怖、怒り、イライラ、あせり、落ち着かない・・・

[3] 自分の意思か、 病気かの自覚

病識・・・自分に起きている問題を、病気だと思えるかどうかのことです。
自我違和性・・・自分が、本来やりたいことではなく、どこか異常だとわかっている部分のことです。

強迫症の人の多くには、病識、自我違和性がある程度あります。しかし、その自覚の程度には個人差があり、違和感がほとんどない人もいます。
一般的な強迫症であるほど、自分の意志に反して、強迫観念による衝動によって、強迫行為をやらざるをえない思いがします。
ただ、元々の性格が強迫的な人では、どこからが症状で、どこからが性格かの区別が難しいことがあります。しかし、その場合でも、病状が悪化するほど、強迫行為によって、浪費する時間が増えるので、以前とは違って、どこかおかしい、困ったことになったと思うものです。

周囲の人から見れば、患者さんが、強迫行為をやりたくてやっているように見える場合もありますが、飲酒やギャンブルのように快楽が伴うために繰り返される症状と、強迫症とは区別されます。

[4]強迫症に支配され、疲れる

・強迫症は、症状が重くなるほど、その人の生活を支配していきます。
強迫行為による、不要なルールが増えて 、生活に制約が多くなります。つまり、使える場所や方法が限られてし、面倒な手間が増えます。
強迫症が重くなるほど、強迫行為の優先順位が増します。そして、学業、仕事、家族の都合よりも優先し、強迫ファーストになってしまう傾向があります。
・強迫症は、家族にも、強迫行為のルールに沿うよう要求したくなります。しかし、それを家族が、引き受けてしまうと、症状への巻き込みとなり、止めるのが難しなってしまいがちです。その結果、患者さんの強迫症も悪化し、家族の生活にも支障・負担が増えてしまう傾向があります。

家族への巻き込みと強化
巻き込みによる症状の悪循環 説明図

強迫症状に浪費される時間が増して、自分が自由に使える時間が減っていきます。
・強迫症は、重症度が増すほど、一定の状態を保って、病気と付き合っていくことが難しくなります。
・物事の優先順位が、強迫症中心になってしまいます。重症度が増すと、学校や仕事に遅れたり、休むようになり、時間を奪われます。皮膚が荒れたり、身体の病気になっても、その治療より、強迫行為で決められたことを行うことの方が優先してしまう人もいます。
・症状が重いほど、疲れます。精神的にも、身体的にも。

[5]強迫症でない人との違い

1)普通のやり方がわからなくなる
強迫症の患者さんで、こう話す人は、よくいます。
確認でも、洗浄でも強迫行為にはまってしまうと、どう終わらせていいか、わからなくなってしまうことがあります。そういうときに、普通の人はどうしているのだろう、どういうやり方なら終わらせられるだろうと、判断の目安がほしくなるわけです。
しかし、強迫症ではない人でも、確認、洗浄のやり方は、人それぞれで、丁寧に時間をかける人もいれば、短時間で済ます人もいます。また、強迫症の人でも、1回の確認、洗浄にかかる時間は短くても、それを行う頻度が多いという人もいます。また、強迫症ではない人のやり方が、必ずしも合理的、科学的とは限りません。
つまり、行為にかかる時間、手順の多さだけでは、強迫症かそうでないかを区別することが難しいわけです。
また、強迫症になる前は、やり方を言葉で細かく意識していないものです。そのため、病気になる前に、自分ではどうしていたかを思い出そうとしても、言葉では思い出せず、どうしたらいいか困ってしまうことが多いのです。

ましてや、新型コロナのような新しい感染症が流行ってしまうと、世間の多くの人が洗浄や除菌行為にかかる時間や頻度が増えます。そのため、どの程度であれば、衛生的に十分で、どこからが病的なのかの区別が、難しい場合があります。

2)強迫症の人と、そうでない人との違い
強迫症の人と、そうでない人との違いは、行為を行いたい衝動と、それができないときの感情の強さです。
たとえば、普段、帰宅すると、衣服を着替える人は、何らかの事情でそれができない場合、嫌な感じがする人は、強迫症でない人でもいるはずです。でも、もし着替えが強迫行為になっている人であれば、それをしたい衝動が強まります。
つまり、強迫症であれば、強迫行為をしたい衝動が強く、それをしないときに苦痛が生じます。そして、本人・周囲の人が苦痛を感じる、生活に支障をきたしている、止めたくてもなかなかやめられないで困っていることも、強迫症の診断される条件となります。
そして、衝動や感情が、問題だからこそ、強迫症への行動療法では、そのような感情・衝動に変化をもたらす曝露反応妨害が主軸とされる場合が多いのです。

3)感覚が敏感に感じられ、悪いことが現実に起こったかもしれないような錯覚が起こる(感覚過剰反応:sensory over responsivity:SOR)
例:汚れた場所にさわってはいないのに、さわったように感じる。
大事なものを持っていなかったのに、持っていたように感じる。
自分の注意が他にそれた間に、何か悪いことが起こったかもしれないと感じる。

4)小さなことまで気になる
例:
・服、持ち物、商品についたわずかな点まで、強迫的に嫌なものでないか、正体が気になって、見過ごせなくなります。
・車の運転や他人とすれ違ったときに、ちょっとした違和感が、なんであったのか、もしかしたら重大なミスでなかったか気になります。

[6]感覚的と言語・理屈的なタイプ

強迫観念は、次のタイプに分けることができます。

1)感覚や感情に左右されやすいタイプ:
例:
・物事の順番、位置、左右対称などにこだわる。
・日常のささいなことでも、細かいタイミング、自分の姿勢の違いで悪いことが起きると思ったり、不快で放置することが難しい。
・理屈ではないが、嫌な感じがすると、やり直したくなってしまう。
・以前は気にしなかった音や、体の中の違和感が気になってしかたがない。

2)言葉レッテルを貼る・理屈で考える傾向が強いタイプ:
例:
・汚いかどうかを、言葉で区別し過ぎてしまう。
例えば、外は汚い、地面は汚いと分類すると、少しでもそれらに触れたものまで、汚くなってしまい。ちょっとぐらいならいいやという中間の判断がなくなっていきます。
・頭の中で、大丈夫かどうか理屈で考えますが、どう考えても100%大丈夫とは思えず、強迫行為をしたくなってしまいます。

[7]子どもの頃に発症した場合

子どもの頃(児童期)とは、18歳以下の時期です。精神と脳の発達する時期なので、発症した当時の脳の発達段階に応じて、強迫症状の現れ方が異なります。
例:
1)具体的にばい菌、エイズなどを理屈で意識して心配するのではなく、もっと漠然とし感覚的な衝動のままに強迫行為をします。
2)汚れやシミが、もぞもぞと生き物のように動きそうな気がする、汚れがもわーっと空気を伝わって襲ってくるような気がするというような、感覚的な思い込みが強い。(本当にそう見えるわけ(幻視)ではなく、そのような思いがするだけです)
3)時間を戻そう、なかったことにしよう、ビデオの再生のようにやり直したり、スローにしたり、物理的に不条理な面が強い。

・脳、精神の発達している時期のため、強迫症状が典型的なものではなく、他の精神疾患との区別が難しい場合があります。

・子どもは、言葉で自分の不調を言い表す能力が十分でないことも多く、専門家にとっては診断は難しい場合があります。そのため、2)3)は、本人の言葉の表現によっては、他の病気との鑑別が難しく、誤診される場合もあります。