4-7.森田療法と強迫症

著者:有園正俊 公認心理師

森田正馬(1874 – 1938年)という日本の精神科医が発案した神経症に対する精神療法です。
神経症とは、今の不安症/不安障害(社交不安症、パニック障害、全般性不安症など)、強迫症/強迫性障害(OCD)などの精神疾患です。
森田療法の考えには、強迫症の患者さんにも、参考になるところがあるので、紹介します。

現在でも、森田療法を取り入れている精神科の医療機関はあります。ただ、受診した患者さんの話では、それらの医療機関で、強迫性障害について十分な治療を行えるのか、よくわからない状況です。

1.生の欲望とあるがまま

人間には、生きていく上で、さまざまな欲望(生の欲望)ががあります。食欲、性欲、睡眠などのほか、自己実現のための欲望、いやなことから逃げたい、人によく思われたい、嫌な面を見られたくない・・・など。
しかし、そのような欲望は、 現実の世界の中ですんなり実現できるものばかりとは限りません。

[1]「森田療法」p12では、次のように書かれています。
「神経質(症)者は、理想型が高く、完全欲へのとらわれが強いために、常にかくあるべしという自分の理想的な姿を設定してしまう。しかし、我々が住む不条理の現実には、そのような都合のよい状態はないので、そこでかくあるべしという理想志向性とかくあるという現実志向がもろに衝突してしまう。」頭の中で描いてしまっている観念・理想と、現実のギャップが大きければ、それだけ不安も大きくなります。・森田療法では、このような考えになりやすいのは、神経症者の性格だと考えます。森田療法が考案された時代は、現代の心理学に比べて、性格への考え方が古く、性格を、先天的なものと、後天的なものとに分けます。そして、後天的な性格は変わりうると考え、森田療法では、それに働きかけます。そこで、
あるがまま・・・事実をそのままの姿で認めること。希望と同時に生じてくる、このような不安や葛藤を「そのままに認め、受け入れること」。
という姿勢が、森田療法では大事だとされます。

あるがままの例: [1]p13
「苦手な上司と面接をしなければならないときに、会って自分の構想をよりよく披瀝しようと考える一方で、あの上司は苦手だからなんとかその場をつくろって逃げてしまいたいという考えも浮かぶ。これは両者ともに、その現実と直面している生の欲望なのであって、一方では、苦しくても自己実現をしたいという欲望と、他方で、苦しいから逃避したいという欲望と、両者ともにその人に付随する人間性なのである。そこで、森田は、低きにつこうとする欲望を「そのまま」にして、もう一方の自己実現の欲望を止揚(しよう:二つの矛盾した考えをより高い段階で調和させること)していこうとする欲望の方向性を考える。」

参考:自己不一致論

このような考えに似た視点としてカール・ロジャースの「パーソナリティー論」では、自己を次の3つに分けて説明しています。

現実自己・・・現実の世界で実際に行動してしまう自分の姿
理想自己・・・ 理想的な自分の姿
あるべき自己・・・このようなケースではかくあらねばならないという自分の思い込み・規範
このような自己が葛藤することから不快な感情が生じることを自己不一致論と言います。

自己概念と、経験という2つの知識があり、この2つが一致することもあれば、一致しないことも、誰しもあります。
一致する領域が増えていけば、葛藤が減り、安定すると考えられます。
そのためには、次の3条件が必要だとしています。
1) 真実・・・他の人の前に自分を隠さず、本当の自分を知っていること。
2) 受容・・・自分と異なる人格として他人の存在を認めることで、あるがままの他人を受容すること。
3) 共感的理解・・・他人を、外側から対象物として認識しようというのでなく、内側から、その人の住んでいる世界を感じとり、理解しようとすること。

1)~3)は、森田療法の「あるがまま」と共通している部分があります。

2.とらわれと強迫性障害のしくみ

森田療法でいうとらわれとは、強迫観念という極端に嫌な考えが繰り返し頭に生じ、それに振り回されてコントロールできなくなってしまっている状態です。強迫性障害の場合、患者は自分がどこかおかしいと気づいているのに、自分だけではコントロールが難しいので、よけい葛藤を抱えてしまいます。

・[1]p103より、「人間はあることを考えながら、同時に多様な観念が脳裏に浮遊しているという、人間本来の原則を否定しようとしているがための「とらわれ」である。」と書かれています。多様な観念というのは、現代では侵入思考と呼ばれ、いい考えも悪い考えも、誰にでも意識に自然とよぎるものです。そのように浮かんで当たり前のものを「あってはならない」と決め付け、なくそうとすればするほど、よけい意識によぎりやすく、とらわれてしまいます。

なぜとらわれてしまうかと言うと、 それは「1-3.強迫症の特徴>[4]」、「1-3.認知行動療法の基本と対処」のページの図にあるような強迫観念と強迫行為の悪循環に、はまってしまうからです。
この悪循環が習慣になってしまうと、それを止めるのは大変です。

強迫の改善のポイントは、まずこのようなしくみを知り、強迫的な動機による習慣を増やさないようにします。そして、最終的には、現実社会に適応しやすい習慣に変えていくことを目指すことです。ただ、症状や治療法によって、そこに至るまでの段取りは異なります。

3.治療

自然治癒力

森田療法では、心(脳)の持つ自然治癒力を導きだすことを目指します。([4]p27)
そのために、
①心を操作しないこと
②待つこと
③知ること(基本的な知識をしるだけではなく、行動を通して身をもって知ることも含みます)

神経質な性格だからといって、必ずしも悪いわけではないので、それを矯正しようとはしません。むしろ細かい所に気がつくとかそれが長所になるケースもあります。悩みも、誰しもあって当たり前です。性格も悩みも「あるがまま」にし、自分で受け入れます。
自然治癒力は、レジリエンスと同じ意味です。

感情の法則

そのように受け入れるために、まず基本となることは、「感情のしくみ」を理解することです。
1)感情は、そのまま放任し、あるいは自然発動のままに従えば、その経過は山型の曲線をなし、ついには消失する。
2)感情は、その衝動を満足すれば消失する。
3)感情は、その感覚に慣れるに従い、その鋭さを失い、次第に感じなくなってくる。
4)感情はその刺激が継続して起きるときと、注意をそれに集中するときにますます強くなる。
5)感情は、新しい経験によって、それを体得し、その反復により、それを養成する。

行動・体験が大事

「感情のしくみ」は、曝露反応妨害と、考え方がとても似ています。
森田療法で、曝露に似た言葉は、恐怖突入です。いずれにせよ、勇気がいります!

思い浮かぶ強迫観念や不安という感情を無理に打ち消そうとすると、かえってなくなりません。思い浮かぶ観念は「あるがまま」にしておき、本来行うべき目的本位の行動を、少しずつでも行うようにしていきます。

目的本位の行動をすることで、たとえば床が少しでもきれいになった分、同じ時間を、病気の心配ばかりをして過ごすより、気持ち的にいいのではと思います。手をもっと洗いたい衝動が襲ってきたら、手を膝の下に敷いてもよいと、森田療法の本に書いてありました。ただ、その本を読んで数十年経ち行動療法を勉強した後になって考えると、手を膝の下に置くのは反応妨害になっていると思いますが、これでは曝露が十分か疑問です。

実際に体を動かす行為(軽作業など)を通して、悪循環の習慣を、現実に適応できる習慣に改善して行きます。この点は、認知行動療法で行動を重視することと共通しています。
ただ、認知行動療法では、その人の症状に合わせて曝露する目標を定めて挑戦しますが、現代の医療機関による森田療法では、単に軽作業というように、あまり症状に的を絞った治療は行われていないようです。

記録・自己への気づき

森田療法では、日記を利用して、自分を振り返り、思考の矛盾に気づく方法を用いられることがあります。

参考

インターネット

森田療法で、使われる用語などわかりやすく解説されているサイトがいくつかあるので、ご参考にしてください。

財団法人メンタルヘルス岡本記念財団 「神経症(不安障害)と森田療法」

参考本

[1]岩井寛「森田療法」講談社現代新書824(1986)
[2]長谷川 洋三「森田式精神健康法―この名著が「自分のこころ」を強くする」知的生きかた文庫 改訂新版 2005)
{3]大原健士郎「新しい森田療法」講談社+α新書(2000)
[4]北西憲二「実践森田療法」講談社健康ライブラリー(1998)